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NFTの本当の可能性は「8月12日の三河屋のコーラ」にあり - ITmedia

 NFT(non fungible token)に参入する企業が相次いでいる。デジタルコンテンツに唯一無二の価値を与える手法であり、アーティストに新しいマネタイズを提供する可能性であり、大きなお金が動いているから注目されているのだろう。

 では、NFTの持つ本当の価値・可能性はなんなのだろうか? 改めて考察してみたい。そこで重要になるキーワードが一つ。

 それは「8月12日の三河屋のコーラ」だ。

この記事について

この記事は、毎週月曜日に配信されているメールマガジン『小寺・西田の「マンデーランチビュッフェ」』から、一部を転載したものです。今回の記事は2021年4月12日に配信されたものです。メールマガジン購読(月額660円・税込)の申し込みはこちらから。さらにコンテンツを追加したnote版『小寺・西田のコラムビュッフェ』(月額980円・税込)もスタート。

NFTとはどんな技術なのか

 NFTの仕組みを簡単におさらいしておこう。

 NFTとは「交換不可能な価値を持つトークン」という意味だ。ブロックチェーン技術を使って「このトークンは唯一のものである」ということを担保する技術、と言い換えることもできる。

 ビットコインのような暗号通貨(暗号資産)では、データにブロックチェーンの技術を使って唯一の価値を与えて、「そのデータは金銭や貴金属と同じように使える」という認識のもとで流通する仕組みが作られ、その価値が市場での売買を通じて変化するようになった。

 NFTもデータの唯一性を担保する、という意味では同じだが、ブロックチェーンで守られるデータの使い道が異なる。特定のデジタルコンテンツとセットで使われるという点がポイントだ。そのデジタルコンテンツにNFTをつけることで、「このデータはNFTによって情報として唯一のものであることを担保している」というお墨付きを与えるものだ。

 「OpenSea」のようなNFTを使ったデジタルコンテンツマーケットが生まれているが、それは、「そこで売られているデータはNFTを使って唯一性が担保されている」からであり、スクウェア・エニックスのような企業がデジタルシールにNFTを導入するのも、シリアルナンバーやロットナンバーを付加し、シールの唯一性を担保するために使えるからだ。

photo NFTによるデジタルデータマーケットの一つである「OpenSea」

 ブロックチェーンの特徴として、所有者が変わっても唯一性を担保することは容易であり、結果として、購入後のコンテンツの再流通が可能にもなる。

#ブロックチェーンの特徴として、所有者が変わっても唯一性を担保することは容易であり、

→所有者が変わっても唯一性を担保することは容易なのがブロックチェーンの特徴であり、

 こうしたことは、デジタルコンテンツの世界に新しい価値を付け加えることであり、新しいビジネスと収益拡大の可能性を見出せる。NFT自体は技術的に難しいものではなく、参入障壁も低い。結果として、一気に注目が集まり、参入企業も増えている……という状況になっている。

NFTは「コピーを防止する技術」ではない

 こういう話になると「コピーができない作品を売っている」というふうに捉えられることが多い。だが、それは違う。NFTはDRM(著作権管理システム)ではないし、「作品自体」の複製を防げるわけでもない。作品のデータが消えたり、壊れたりするのも防ぐこともできない。

 分かりやすい例を挙げれば、画面に表示されたイラストや動画のデータをスクリーンショットでコピーすることを、NFTでは防げない。DRMを組み合わせればコピーを一時的に防ぐことはできるが、100%コピーされないようにする方法はない。

 NFTで「唯一である」ことが担保されるのは、作品のデータそのものではない。作品に付随する情報、すなわち「どのように供給され、どう売られたものなのか」という付帯情報だけなのである。

 これは、美術品と鑑定書の関係にたとえられることが多い。鑑定書は美術品を守らないし贋作の製造も防がないが、作品と一緒に保管されていれば、美術品の来歴を担保しやすくなる。その鑑定書がコピーしづらくできているのがNFT……というロジックである。

「8月12日の三河屋のコーラ」が示す来歴の価値

 ただ、筆者はもう少し別の例えの方が、NFTの本質を表現しやすい、と思っている。

 それが「8月12日の三河屋のコーラ」だ。

 何の話なの? と思われるだろう。「あれかー!」と思いついた人は、相当な藤子・F・不二雄ファンである。

 ドラえもん第9巻には「王かんコレクション」という話が掲載されている。

 この話では、スネ夫に高価な切手コレクションを自慢されたのび太が、ドラえもんに「流行性ネコシャクシビールス」を出してもらい、その力で「王冠のコレクションが大流行する」状態を作る。

 のび太の王冠コレクションの中で最も希少性の高いものとしてアピールされたのが、通称「8月12日の三河屋のコーラ」だ。

 のび太が8月12日に三河屋で買ったコーラから得た王冠なのだが、その日に三河屋で売れたコーラはこの1本。結果として「世界で1つの王冠である」ということで、最終的にはコレクターが200万円で買いに来るのだが……というお話だ。

 もちろんこれは、ある種の皮肉として描かれたものである。

 どこにでもあるコーラの王冠であっても、希少性が認められ、そこに皆が価値を感じるならば金銭的な意味も生まれる。スクリーンショットで見た目がコピーできるデジタルコンテンツと、どこにでもある量産品である王冠には、似た部分がないだろうか。

 という話をすると「じゃああなたは、NFTは無価値であり、うわついたものだと思っているのか」と指弾されそうだ。

 確かに、妙に価格が高騰したりする部分には疑問もあるし、「唯一性」を担保するために必要なシステム全体での消費エネルギーについて、価値と環境負荷のバランスはどうなのだろう、という疑問も持っている。

 しかし、NFTが無価値とは思わないし、それを揶揄(やゆ)するつもりも毛頭ない。むしろ非常に重要な、可能性のある技術だと思っている。

 その根本はどこか? それは「来歴に価値がある」という点だ。「8月12日の三河屋のコーラ」も、コーラの王冠であることに価値があったわけではない。三河屋という店で特定の日に買った唯一のものであることを、コレクターとしてのオリジネイターであるのび太が担保している点が重要なのだ。別の言い方をすれば、それはコレクターとコレクションそのもののキュレーションから生まれる価値であり、売った店との関係で生まれる価値でもある。

 これを別の言い方で示すなら、「作品について、売った人と買った人のつながりを担保する」ということになる。「この作品データは、作者からAさんに直接販売された、真正なものである」と担保されている情報がついたものと、単にコピーされたデータとでは、価値は同じにはならない。

 だからこそ、特に「作者とつながる」ことに価値がある作品でこそ、NFTは大きな意味を持つと考えている。最終的に作品の「見た目」は勝手にコピーされたとしても、「この作品を本当に所有しているのはAさんで、Aさんはそれだけの価値をクリエイターに提示し、クリエイターもその結果としてのNFTを渡した」という情報がついたことで、買った人にはリスペクトが残り、クリエイターは対価を得る。そして外部からはNFTの価値が「そのコンテンツが持つ価値の客観的指標」となって残る。

 美術品は写真や映像でいくらでも見られる。複製画だってある。だが、正当な鑑定書のついた本物は、また別の価値を持つ。そして「誰のコレクションに所蔵されているのか」「どこが鑑定したか」にも価値が存在する。

 NFTによる価値の担保とは、そうした美術品のもつ特性に近いが、それをもっともっとカジュアルなものに変えるはずだ。

NFTの可能性は「アーティストとファンの関係を担保するところ」にある

 その流れで言えば、筆者は、本当にマスコンテンツに近いものの一部にシリアル番号を入れてNFTで保護したとしても、そこにはあまり大きな価値は生まれないのでは……と思っている。やってることはDRMと変わらないからだ。

 だが、よりアートに近いもの、もしくはサインやちょっとした付加価値としてのメモやイラストがついたものはどうだろう? そこには、アーティストへのリスペクトの表し方とマネタイズについて、新しい可能性が広がっている。

 書籍の場合、著者が買った人にサインする、という文化がある。多くの場合、サインをしても価値は上がることはないが、「著者がサインしてくれた本」を、買った人は大切に思ってくれるものだ。

 最近は、電子書籍でも「オンラインサイン会」をする人が増えてきた。筆者もやったことがあるし、漫画家の「うめ」先生は、4月11日に、新刊「東京トイボクシーズ」3巻の発売に合わせ、オンラインサイン会をやっていた。

 こうしたサインがされた画像は、現状保護はされていない。サインは特定の人に向けたもので、コピーされてもあまり意味がないからだ。だが、もしNFTでこうした行為にある種の「担保」ができるとしたらどうだろう? ファンとアーティストの関係は強化できるし、新しいビジネスになるかもしれない。将来、「電子書籍で、ある人にある作家がしたサイン」に価値が生まれる可能性だってある。

 「ファンとアーティストの関係を担保するもの」ならば、長期的に見ても、十分な可能性と市場が広がっているのではないか……と感じるし、その先に高い価値が生まれることもあるだろう、と思うのだ。

 一方で、「NFTで何百万もうかる」的な話には、やっぱり気をつけた方がいい。そんな時期は長く続かないだろうし、詐欺的な話が混ざってくることも多い。美術品と詐欺は切っても切り離せない。NFTの本質を考えていくと、「そういうことじゃないんだ」という気持ちになってくるはずだ。

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