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<わけあり記者がいく>本当のバリアフリー実現 障害者の発言 福祉底上げ - 東京新聞

 「自由は相手から進んで、自発的に与えられることは決してない。われわれの側が要求しなくてはならないのだ」。そういう趣旨のことを言ったのは、米国の黒人に対する人種差別と闘った「公民権運動」の指導者、故マーチン・ルーサー・キング牧師だったか。鋭い舌鋒(ぜっぽう)の中に、「弱き者」への愛があふれている。

 「わけあり記者」こと私、三浦耕喜(51)も、局面こそ違え、この言葉に背中を押された一人だ。高速バスで通った父の遠距離介護、認知症の悪化で病院や施設を転々とした母の世話。仕事で脂の乗った四十代の半ばで、私は進退窮まった。東京でのキャリアを諦め、実家近くに転属。不気味に症状を増す難病との闘いに、どれほどの時間とカネが必要かも皆目分からず、底なし沼にはまったような日々だった。

 負担をできるだけ抑えた介護サービスが組み立てられるよう、役所はいろんな隠し扉を持っている。でも、役所は積極的にアピールはしない。日本の福祉行政は「申請主義」だ。役所に申請し、無数の書類にサインをした後、なにがしかの補助が出る。

 キング牧師の言葉が役所との交渉で重要な視点をくれたのも、構図が重なると感じたためだ。私は、こんなふうに読み替えていた。「医療も介護も、政治や役所から自発的に与えられることは決してない。障害者や難病患者の側が要求しなくてはならないのだ」と。

 だから世の障害者よ、おとなしくしている暇はない。どんどん街に出て、当局とも議論せよ。障害者を巡っては、施設に入れるか、わずかな捨てぶちを与えて家に閉じ込めるか、社会と切り離そうとした時代が長く続いた。だが今や、ITの進歩により、多くが働けるようになった。働けば税金も納められる。国家にとっても得ではないか。

 そこへ行くと、近年、障害とともに生きる元気な青年が、社会の表舞台で活躍していることは頼もしい。例えば、私が二〇一八年一月の本紙企画「『弱者』を戦力に」で紹介した筋ジストロフィーで電動車椅子に乗る浦田充さん(28)は、地元の埼玉県桶川市の市議会議員になっている。

車椅子で市議会に出席する浦田充さん=埼玉県桶川市で

車椅子で市議会に出席する浦田充さん=埼玉県桶川市で

 彼は、バリアフリーの旅を提供する旅行会社を立ち上げたかった。だが、バリアフリーをうたう施設を見学すると、館内はバリアフリーでも、アプローチに問題が多く、地域全体で考えるテーマだと見えてきた。そんな時、同じ病気の若手が千葉市議選に立候補したことを耳にする。その候補は落選したが、「自分も立候補できる」と気付き、一九年の桶川市議選に出馬。毎日街頭で懸命にビラ配りをして支持を訴え、初当選。「本当のバリアフリーが実現されるよう、市民の目になりたい」と言う。

 サッカーFC岐阜の元社長で筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の恩田聖敬さん(43)も、役所が緊張感を高める存在だ。人工呼吸器を装着しているため、二十四時間のプロによる見守りが必要。彼は介護保険と重度訪問介護を併用してしのいでいる。だが、併用を認めない市町村も多く、「家族や施設で面倒を見られないなら、死んでくれと言うに等しい」と手厳しい。

 物言う障害者が大手を振って街を歩く。それが難病、介護も含めた福祉の底上げを生み、幸せが増えるなら、私も大賛成だ。五十代だが、私も青年にまぜてもらおう。人間は、幸せになるために生まれてきたのだから。

<パーキンソン病> 脳内の神経伝達物質ドーパミンを作る細胞が壊れ、手足の震えや体のこわばりが起きる。多くが50代以上で発症し、国内の患者数は約16万人。厚生労働省の指定難病で、根治療法はなく、ドーパミンを補う服薬が治療の中心。服薬は長期にわたり、経済的負担も大きい。

<みうら・こうき> 1970年、岐阜県生まれ。92年、中日新聞社入社。政治部、ベルリン特派員などを経て現在、編集委員。42歳のとき過労で休職し、その後、両親が要介護に。自らもパーキンソン病を発病した。事情を抱えながら働く「わけあり人材」を自称。

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